あらゆる種類の職人を網羅
1000年付「造東寺年終帳」(東寺文書、『平安遺文』二・五三五所収)や天喜四(1056)年付「東大寺修理所修理記」(東南院文書ニノ三、『平安遺文』三・九〇一所収)にこれが壁下地用材(一部は屋根下地にも用いられたと思われる)として計上されており、特に後の資料では「志達知榑」と記されているので、この材料は奈良時代までの寺院で見たのと同じ木材の小割材であったことが明らかです。
それはともかく、以上の作品においては、単に「かへ」といえば板壁や網代等を指さず、明らかに外壁リフォームを意味しているから、それだけ土壁が社会の各層に普及したさまを推測することができよう。
なお『東北院歌合』の場合、これに参加した歌の作者は単に建築関係にとどまらず、あらゆる種類の職人を網羅しているから、「壁塗」もただ建築関係者の中だけに認められていた職種ではなく、今日の左官というのと同様、当時世間一般に通用する職業名となっていたことが知られます。