土倉の構造の詳細
土倉の構造の詳細まで『明月記』が記しているわけではないが、通具卿土倉の収納物は納屋程度の小屋に収容する性質のものではないし、また商家の土倉も営業用倉庫と考えられるから、これまた雑屋程度の建築とは考え難い。
特に前者において土倉を「穿」つとしているのは、壁厚が相当大であったことを推測させます。
したがってこれらは前引の土屋に比し、より堅固なものであって、年代的にいって『春日験記』に見た土蔵と同様の構造を持つものが当時市中一般に普及しはじめていたと解して差支えないでしょう。
もっともそれほどの土倉が、簡単に盗賊の侵入を許し、または火災で焼失しているのは一見奇異に思われるが、それは屋根構造や開口部が後世のものほど完全でなかったからと考えられ、外壁リフォームの耐火性については、当時でもあらゆる構造のうちで最も信頼が寄せられていたのではないでしょうか。